今日は私の39回目の誕生日。
でも日本では、5時間にも及ぶ母の手術が行われていました。
姉から逐一メールをもらっていたので状況は把握していましたが、何せはっきりとした病名がなくむかえた手術だったので、開腹したら想像以上に深刻な状態のため手術を断念。。。などという最悪なケースも頭をよぎりました。
3時間、4時間経っても連絡が来ないので、きっと予定通りに手術が行われてるはずと自分を落ち着かせるようにしていました。
思えば数年前から背中が痛い、腰が痛い。きっと老化で背骨が曲がってきているせいかなと言っていた母ですが、私はある臓器の病気を疑っていました。
数ヶ月前の検査で、私が気になっていた臓器に何かが見えたようで精密検査の結果、悪性の疑いありということで手術になったのです。
こうなる前に、しつこく検査してと言っていたら。。。と何度悔やんだことか。
この数ヶ月、本当にいろいろあって、母のことだけを気にかける余裕はありませんでしたが、心の奥では最も苦しく悲しい心配事でした。
母は私を「宝物だよ」と言って人一倍愛情をそそいで育ててくれました。
そんな母は私にとっても世界で一番大切な人です。
その母が生命の危機に直面している時に、側にいてやれない自分が情けなくなっていました。
自分には社会人としての責任があるけれど、母への思いを犠牲にしてまでの責任はあるのか?と何度も思いました。
日本に帰って、母のそばにいたい。
何度も何度も思いましたよ。
そんな不安な気持ちのまま手術をむかえました。
姉が送ってくれた手術前の母の姿は清々しく病人には見えないほど。
頑張ってと祈ることしかできない私。
そして、アメリカで日付が変わる(私の誕生日)瞬間、姉からメールが。
無事手術は成功し、
悪性ではなかった。
との報告でした。
もちろん術後は合併症なども出ることがあるので油断はできませんが、なにより悪性でなかったのです。
術前は気丈にしていた母ですが、きっと心の中は不安でいっぱいだったでしょう。
だから、麻酔から目が覚めたらすぐにでも深刻な病気ではなかったと伝えてあげたいです。
手術成功の知らせは最高のバースデープレゼントでした。
長時間の手術をしてくれた先生方、父と母の面倒を見てくれた姉に感謝の気持ちでいっぱいです。
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